前回の「個々の検証はなく一括して証言の信用性が高いと判断したことへの疑問: デイズジャパン最終検証報告書の検証(2)」では、「デイズジャパン検証委員会『報告書』」(以下、「検証報告書」)が、どのような手法で被害者の証言はすべて「信用性が高い」と判断したのかを検討しました。「検証報告書」は、実際にはヒアリングをしていない新聞報道という“間接情報”を利用したり、「事実」だと確認したその根拠が記述されていないなどの特徴を確認しました。
海外では十数年前から性暴力をどのように報道するのか、議論され始め、#MeToo運動の高まりを受けて、さらにその問題は活発になっています。例えば、一例を挙げれば、イギリスの新聞および出版業界の独立規制機関(「IPSO」=Independent Press Standards Organisationは、「性犯罪を丁寧に報じるメディアは、自分の経験を話す気持ちにさせ、支えてほしいという思いを強めてくれる」という被害者のメディアに対する期待と、それに応えるためには「性被害を責任もって報じるジャーナリストおよび編集者を支援することが重要」との認識から、報道にあたってのガイドライン(日本語)を定めています。
センセーショナリズムな報道が容認されると、結局は被害者の救済にはつながらないからです。
では、証言が事実かどうかを「検証報告書」がどのように認定していったのか、その過程を詳しく検討してみましょう。検証委員会は性的ハラスメントを検証、認定する作業で、個人の性的指向を持ち出していました。
「客観的な事実」とは何か?
「検証報告書」では、被害者と広河氏(側=デイズジャパン社役員や関係外部者なども含む)のどちらの信用性が高いかが、セクハラ認定の大きな根拠となっています。
しかし、どのような基準で、証言と説明の信用性を判断しているのかは不確かです。
証言の信用性を確認するためには、同一者の証言に矛盾がないだけでなく、客観的事実と齟齬がないか等、複数の情報を分析したうえで判断しますが、この「検証報告書」では、証言以外の証拠については詳しく示されていません。個々の証言それ自体だけで判断しているのではないか、という印象を与えます。ニューヨークタイムズの編集者(女性・ジェンダー専門)は、「セクシャルハラスメントなど性被害を報じるには、当事者以外に2人の証言者の裏づけが必要」で、彼女が9人の女性から性暴力を告発された映画脚本家の記事を報じた際、「少なくとも27人の異なる人に話してもらった」と述べています。証言を偏って採用して事実を認定する手法は排除している点は注目しなければなりません。
検証委員会は、各々の“証言”について「信用性があると認定し」(25頁4行目)、「検証報告書」に記載しました。
その理由は次の通りです。
「証言はいずれも、検証委員会において直接情報提供を受けたもの」(25頁2行目)
「証言者に検証の趣旨を説明した上で聴取したもの」(25頁3行目)
「複数の観点からの質問をする等しても一貫性が保たれたり、客観的な事実にも整合する」(25頁4行目)など
「一貫性が保たれ」とありますが、どのような根拠でそう判断したのでしょう。「検証報告書」を読んでいる側からすれば、それがわからないのです。質問事項も不明です(他方、一般財団法人フォトジャーナリスト協会への質問事項は「照会事項」として明記しています(88頁))。複数の情報を分析した結果なのか、疑問です。ここでいう「客観的な事実」が何を指すのかも不明です。
ここで海外の事例をみてみましょう。
膨大な証拠の入手を努力
声を上げた被害者を尊重し、その証言を信用するのは、性暴力事件においては特に、重視されています。新聞が性暴力被害者を取り上げる機会が多くない日本でさえ、そうした考えは報道関係者にいきわたっているかと思います。
性被害問題の報道が増加している海外では、性暴力被害者を支援する社会学者や心理学者、専門家らが、ジャーナリストに対し、被害者の話を信じることが重要で、被害者を疑うことで二次被害を引き起こさないよう、より厳しく注意をうながしています。
しかし、こうした見識にとらわれすぎる懸念も指摘されているのです。
例えば、ジャーナリズム業界で教訓となっているローリングストーン誌の大学レイプ事件ねつ造記事をみてみましょう。
この記事を取材・執筆したライターErdelyおよび掲載を決定した2人の編集者は、「被害者の証言を信じすぎてしまったのが最大の失敗だった」と述べています。
この記事は、ベテランのライターErdelyによりひとりのレイプ被害者“ジャッキー”の証言のみで書かれ、Erdelyを信頼していた編集者たちに事実確認されることなく、センセーショナルに報じられました。その後、他のメディアからの指摘で、証言は正確ではないと判明し、ローリングストーン誌は謝罪、記事を撤回したのです。
ローリングストーン誌の依頼でこのねつ造記事問題を調査したコロンビア大学ジャーナリズム大学院の調査報告書によると、ライターや編集者たちは、「レイプ被害者に敬意を表しすぎてしまった。彼女の話をあまりにも称賛しすぎた」と述べています。そして、そうなってしまったのは、レイプ被害者の証言は他の犯罪被害者と同様に信頼しなければならない、二次被害はあってはならない、という概念に影響されたと分析しています。
Erdelyは、この記事の前から大学のレイプ事件を取材していたのですが、裏がとれず、閉塞感に陥っていたそうです。そんなときにジャッキーという女性が現れたため、これでアメリカ国内の大学で頻繁に起きているレイプ問題を大々的に取り上げられると考えたといいます。
その調査報告書には、「人間は、既存の前提にとらわれ、矛盾点を見落とし、主観的な視点で事実を選択する傾向にあるという、確証バイアス問題は社会科学の確立された研究結果であり、それがここでの要因と考えられる」と示されています。
この調査から、レイプ事件の報道について「ジャーナリストたちの間で慎重に検討しつづける課題が複数ある」ことが明らかになったとし、そのひとつに、「被害者への気配りと事実調査のバランス」を挙げています。すなわち、「カウンセラーや被害者支援グループが、被害者が性暴力によって抱える恥辱、無力感、自責をジャーナリストに理解させる」のは「よいアドバイスではあるが、取材する記者が、調査を正確に行わないのであれば、それは被害者にとってよくないことである」というのです。
正確な調査について、調査報告書では2人の意見が紹介されています。
アメリカの非営利調査報道団体(Center for Public Integrity)のメンバーで、大学の性暴力に関する一連の調査を1年半にわたって行ったKristen Lombardiは、「被害者を信じてはいるけれど、その証言のどこにも問題がなく、完全に正しいと確証させることが最も重要」で、「文書の入手、証拠集め、加害者を含む、この事件にかかわったできるだけ多くの人と話す必要」があり、そのことを自分がヒアリングした女性たちにはっきり伝えたといいます。
また、過去2年間大学のレイプを取材してきた、ビューリッツァー賞受賞者のニューヨークタイムズ記者ウォルト・ボグダニックは、被害者の証言を裏づけるために、診断書、救急通報、強かんの直後に送られた伝言やメールの文章といった可能な限りのものを追跡すると語っています。
「広河氏の年齢は性愛の対象ではない」という論理
デイズジャパンの検証で、被害者と広河氏の証言が大きく食い違っているのは、「合意」についてです。
検証委員会は、性交をした女性たちの証言の「いずれの件も、『相手の女性の合意はなかった』と認定」(25頁23行目)し、性交に至らない性的接触をした件については、「被害者らの証言の信用性に比べれば、このような広河氏の説明の信用性は極めて低く不誠実であるとしかいいようがない」(25頁28行目)としています。
「合意はなかった」と認定した根拠のひとつは、検証委員会のヒアリングで複数の証言者が、「広河氏に向けていた好意は、あくまでジャーナリストである広河氏に対する敬意やあこがれであって、異性としての好意とは別のものだった」(25頁9行目)と語ったためとあります。
もうひとつは、「広河氏の説明の信用性が極めて低く不誠実」だったからで、その判断にいたった理由が2つ書かれています。
ひとつ目は、「なぜ広河氏はこれを性愛的好意だと捉えたのか」(25頁11行目)と質問したところ、「当時はそう思った」「楽しくてしかたがないという様子で自分のまわりにいる女性達をみて自然にそういう感情をもった」と回答(25頁22行目)し、「性的関係への合意を裏付けるような事情の説明は無かった」(25頁15行目)からです。
2つ目は、「20代の女性たちが広河氏の年齢の男性を性愛の対象として捉えることはそもそもほとんどないことだと思う」(25頁17行目)が、「ほとんどないことが起きていると感じた事情は何かあるのか」(25頁17行目)の問いに広河氏が、「『そういう人もいますよ』と一般論のように抽象的に述べ」(25頁20行目)、「具体的な事情の説明は一切なく、不機嫌な表情を見せた」(25頁28行目)ためだと記載されています。
以上のことから、「広河氏の説明には全く合理性はな」い(25頁21行目)と判断が下されました。
「不機嫌な表情」とは非常に主観的な感想です。そのような主観的な感想を事実認定の根拠にするのはアウトです。たとえ、「不機嫌な表情」をしたとしても、検証する側は客観的な証拠で、被害の事実を認定していかければなりません。「不機嫌な表情」をしたら「アウト!」で、いいのでしょうか?
また、「合意を裏付けるような事情」や「具体的な事情の説明」とある“事情”とは、どのようなものを指すのか、ここでははっきりわかりません。逆に、被害者たちが、「合意を裏付けるような事情」を証明し、「具体的な事情の説明」をしたのかどうかも、ここでは述べられていません。
「検証報告書」は、恋愛の常識として、“大物ジャーナリストに対しては敬意やあこがれがあり、異性としての好意とは別なのが「当然のこと」(25頁11行目)”であり、”20代前後の女性が60代~70代の父親どころか祖父に近い「年齢の男性を性愛の対象として捉えることはそもそもほとんどないことだと思う」(25頁17行目)との見解を持っているようです。
性的ハラスメントを検証する「検証報告書」で、恋愛指向、つまり個人の性的指向に踏み込んでいるのです。性別を変えてみましょう。「20代前後の青年が60代~70代の母親どころか祖母に近い年齢の女性を性愛の対象として捉えることはそもそもほとんどない」。これは性的ハラスメントではないでしょうか。検証委員会の「検証報告書」は、こうした性的指向を事実の認定に利用しています。若者がずいぶんと年上に恋愛感情を抱くことはありえないのでしょうか。
どうやって「裏取り」?
1件のセクハラ被害につき、複数にヒアリングを行っているケースもありますが、その多くが、どのように裏をとっているのか明らかにされていません。
週刊誌報道の被害8件のうち、検証報告書の証言と符合する2件については、被害者と広河氏以外の証言や証拠の記載がありました。
週刊誌2019年2月7日号(「検証報告書」では「2019年2月10日発売号」と記載されていますが、正確には、1月31日発売、2月7日号)で報道されたセクハラ被害では、被害者と広河氏以外の証拠を押さえていると記載されています。
被害内容は、二次被害を避けるため、ここでは省きます。検証報告書の20頁をご覧ください。
このケースは、広河氏が「事実ではないことを書かれている。反論したい」(46頁37行)と述べており、それに対し、検証委員会は数ページにわたって批判しています。
しかも、「検証委員会としては、この女性からヒアリングし、いくつかの証拠も確認する」(47頁23行)とあるにもかかわらず、確認した証拠については詳しく触れず、「アメリカの社会心理学者が提唱した概念を引用」(43頁4行目)するなどして、広河氏が「優越的な立場に乗じてセクシャルハラスメントを行った」ことを論じた内容です。
「いくつかの証拠」がいくつなのか、どのような証拠なのかは記載されていません。決定的な証拠であれば、それを示すだけで、広河氏を納得させ得たと思われるのですが、その証拠の内容はいっさいわかりません。
次回は、「検証報告書」に書かれた別のケースを検討し、「検証報告書」の疑問点を提示します。
※誤字を修正しました(2020年2月25日 15:00)