※注意:今回の記事は、セクハラの描写等を含むため、不快な気持ちになる可能性があります。
※性暴力に遭った方々の表記は、前回から「被害者」を「サバイバー(生還者)」に変更します。
前回の「米ニューヨークタイムズは「レイプ」と「合意のない性関係」を区別:デイズジャパン最終検証報告書の検証(5)」では、ニューヨークタイムズのセクハラ報道における言葉の選び方などについてみてきました。
海外では、性暴力を誠実に報道するために、取材の準備からインタビューの留意点、記事構成や言葉遣いなど、細かい規定を提案している団体もあります。
今回は、いくつかの団体のガイダンスをみていきます。
「言葉は非常に重要、性暴力の理解に甚大な影響」
1970年代に創立したミネソタ州の性暴力反対連合Minnesota Coalition Against Sexual Assault(以下、MCASA)のジャーナリスト向けガイド「Reporting on sexual violence: A guide for journalists」(2013年発行、2017年更新)では、「言葉は非常に重要で、性暴力がどう理解されるかに甚大な影響をおよぼす」と述べ、“合意”ととれる言葉や文章は避けるよう促し、司法文書で使用する言葉を参照に、ジャーナリストが用いるべき言葉を提示しています。
具体的には、たとえば、「キスをする(kissed)」は「被害者の口に彼の口を押しつけた」、「セックスをする(have sex)」は「性暴力をする」と書き替えるよう指摘しています。
「受動態の使用」の提案も
また、このガイドでは、フロリダ州にある非営利団体ジャーナリズム機関のポインター研究所(The Poynter Institute)の記述を引用し、「受動態の使用」についても触れています。
有罪判決を受けていない人への非難を避けるには、受動態のほうが問題がない。しかし、加害者が逮捕されたら、警察の報告を引用し、加害者を主語にしたほうがいい。被害者は直接目的語にすべきである。
広河氏の2本のセクハラ記事には、「セックス」という言葉が頻繁に出てきます。2019年1月3・10日号の記事には、「キスをする」という記述があります。また、広河氏を主語にした、能動態による性行為の描写も含まれます。
MCASAの基準からすると、この記事の執筆者は性暴力表現への配慮が十分ではなく、記事表現は不適切だということになります。
「専門性が必要」「取材で女性の同席を」
次に、米コロンビア大学ジャーナリズム大学院が運営するジャーナリストを支援する国際的な組織ジャーナリズム・トラウマ・ダートセンター(Dart Center for Journalism and Trauma )のReporting on Sexual Violence (日本語)では、「性暴力報道は特別な配慮および一層の倫理的思慮が求められる。インタビュー技術、法律の理解、トラウマの精神的影響の基本的知識といった専門性が必要とされる」と前置きし、取材の準備とアプローチ、取材方法、記事作成をアドバイスしています。
ここでも、「暴行を説明するときは、詳細な写実の分量のバランスを考える。多すぎるのは不当であり、少なすぎるとサバイバー(生還者)の出来事の深刻さを弱めることになる」と「正しい言葉の使用」が強調されています。
また、インタビュー方法の項目には、「どんなに繊細な男性であっても、被害者の大半は女性であり、女性にインタビューされたほうが安心できる傾向にある。それが不可能なら、女性の同僚を同席させる」ともあります。
広河氏の週刊誌報道に対する違和感のひとつは、サバイバー(生還者)から話を聞いているのが男性記者だけではないかと思える点です。また、当該記事のなかには、報じる側に女性の関与があれば、避けるであろう不快な表現も多々みられます。たとえば、避妊方法の明記です。避妊は加害性を軽減したり、サバイバー(生還者)にとって有利になったりせず、性暴力の酷さとは関係がありません。それをわざわざ書いくのは、いかにも男性視線の猥談的な興味からに思えます。
2019年6月に、サッカー・ブラジル代表のネイマール選手は、避妊具の使用を拒否したため、性的暴行疑惑で訴えられるという事件があり、その記事には、「避妊具の使用が『同意のある性行為か否か』の分かれ目になってしまう」と書かれています。
性被害の報道の目的は「社会問題や人権問題の提起」
前述した通り、メディアがセクハラや性暴力を報じるのは、「個人の事件を通して、性暴力の全容を明らかにし、それに関連する社会問題や人権問題を提起する」ことにあります。
イギリスのジャーナリストの労働組合(The National Union of Journalists guidelines)のガイダンス「Guidelines for Journalists on Violence against Women」(現在は削除)では、「記事や番組の最後にヘルプライン、司法情報を伝える」「教育的な材料を多く入れる(例えば、レイプ神話に対する抗議、被害者の“タイプ”に関する誤解など)」を助言しています。
アメリカのNational Sexual Violence Resource Center (NSVRC)(国立性暴力資料センター)のガイダンス(Reporting on Sexual Violence: Tips for Journalists (NSVRC))でも、「読者に行動を呼びかけ、ホットラインや支援グループなどの情報を提供する」ニュース報道にするよう訴えています。
記事の構成の助言として、「解決策、特に予防戦略についても書くことで、性暴力の認識を変えるのに役立つ」とし、読者に性暴力が「公共衛生および社会的正義の問題であることを理解させる」ための議論を起こすことも求めています。
このガイダンスではまた、性暴力を被った人々の「生活が決定的に崩壊するという神話を長引かせないために」、当事者、家族、加害者、コミュニティーの「苦境からの回復と心身の苦痛の癒しを強調」して伝え、「性暴力を犯した人々のリハビリおよび復帰の可能性を探る」ことも大切だと記しています。
議論を避ける安易な言葉の選択が#MeToo運動を盛り下げる?
このように、海外では性暴力被害の報道などをめぐって、活発な議論が交わされ、様々な提案がなされています。こうした議論や提案に沿って、試行錯誤しながら取材・報道がされている点は注目してもいいでしょう。日本では、このような議論がなぜ起きないのでしょうか。しかも、「レイプ」=「合意のない性関係」と、性暴力を表現するに当たって言葉を吟味しない論調も残念ながら存在しています。
日本のセクハラ報道は、加害者の悪質性を強調した個人攻撃型で、問題の背景や全容、今後の解決策につながるような内容にはなっていません。こうした報道は、#MeToo運動の盛り上げの一助になるのでしょうか。
検証委員会は、“レイプ”と報じた週刊誌の記事も「事実認定」しています(デイズジャパン検証委員会『報告書』 21頁)。検証委員会が週刊誌報道を鵜呑みにしたようには、「検証報告書」を安易に信じることはできません。
次回は、週刊誌で報道され、検証委員会が事実と認定した別のケースを検討します。