デイズジャパン最終検証報告書の検証(9) 「食い違う」証言を裏取りせず「被害」認定 検証委の役割逸脱の可能性も

報告書の検証

※注意:今回の記事は、セクハラの描写等を含むため、不快な気持ちになる可能性があります。

※性暴力に遭った方々の表記は、「被害者」ではなく、「サバイバー(生還者)」にしました。

これまで2回にわたり(検証7検証8)、「デイズジャパン検証委員会『報告書』」(以下、「検証報告書」)の「(2)セクシャルハラスメントに関する証言」(20頁1行目~24頁17行目)に書かれた15件の証言のうち、当事者以外の証言がある9件を検証しました。検証委員会はひとつずつすべての検証内容を記載せずに、「証言はいずれも、……信用性があると認定」(25頁4行目)し、「(3)セクシャルハラスメントの認知」(25頁)をしていることがわかりました。

今回は、週刊誌報道の被害8件のうち、福島第一原発事故後に被災地の取材にアシスタントとして同行したケース(22頁29行目~23頁14行目、51頁17行目~18行目)を検証します。このケースは、「検証報告書」の証言と符合し、被害者と広河氏以外の証言や証拠の記載があります。検証委員会はどのように確認していったのでしょう。

 「思われる」という手法で事実を認定

このサバイバー(生還者)は、裸の写真を撮られ、その後、福島で放射線量の高い地域に連れていかれて被曝が不安になり(94頁27行目~95頁3行目)、「怒りと不満が爆発した」と証言しています。

検証委員会は、このケースに関して、何人にヒアリングをしたのかは定かではありません。
当事者、広河氏、川島氏、守屋氏の他に、関係者3人には聞き取りを行ったとあります。
関係者3人は、「広河さんから後日、その女性から勘違いだったと謝罪されたと聞いている」のであって、セクハラがあったかどうかを聞いたとは明記されていません。

「検証報告書」の奇妙なところは、この証言の後の「広河氏の対応」(95頁4行目)という見出しの項で、検証委員会は広河氏本人ではなく、「関係者に『広河氏のハラスメントについて何か聞いたことはないか』と尋ね」ていることです。

そして、「限られた調査範囲の中」の「5人もの人」が「『原発近くに連れていかれたとして女性から抗議を受けたという件は知っているが、それについては広河さんから後日、その女性から勘違いだったと謝罪されたと聞いている』と述べた」と書いています。

ところが、ここで検証委員会がよく使用する「思われる」という言葉が登場します。

「広河氏は周囲に『あの時の女性からは後日謝罪を受けた』と何度も繰り返し話していたのだろうと思われる」(95頁5行目~22行目)

“思われる”という推測でありながら、あたかも事実のようにみせる、検証委員会のいつもの手法を使っています。

以前の記事「個々の検証はなく一括して証言の信用性が高いと判断したことへの疑問:デイズジャパン最終検証報告書の検証(2)」で指摘したように、「検証報告書」は、その妥当性を客観的に評価、検証できるように書かれていません。

我田引水的な記述方法です。重大な事実を認定する際に「思われる」は不適切でしょう。引用の出典明記をしない、不出来な学術論文と同じです。このような論文は普通、リジェクトされます。新聞の記事にしようとしても、デスクから修正を求められるような素人レベルの記述法になっているのです。

「謝罪」をめぐる食い違い

「検証報告書」の上記の証言は時系列ではなく、話が前後しており、「広河氏の対応」(95頁4行目)のなかで、検証委員会が「この『謝罪』とはどういうことだったのか、当該女性にどのようなことだったのか確認した」(95頁10行目)とあります。

証言を時系列にすると、次のようになります。これらは、「検証報告書」を読む限り、サバイバーのみの証言です。

「事前に約束もなかったのに放射線量が高い原発近くに連れていかれたことや、ヌード写真を撮影されることを断れなかったことなどを知人に相談」(95頁11行目)
「デイズジャパン社編集部を直接訪問して広河氏に抗議。直接の謝罪を求めた」(95頁5行目~22行目)
「広河氏はなかなかその場をもうけようとせず逃げ」る(95頁1行目)
「社員に協力してくれる方がいたので広河氏がいる時にデイズジャパン社に行って抗議することができ」た(95頁2行目)
「やっと直接謝罪する場がもうけられた」(95頁3行目)
「相談を聞いた人から『聞かなかったことにしてほしい』『(この業界で仕事をしたいなら)広河さんとの関係は修復したほうがいい』という趣旨のことを言われた」(95頁13行目)
「弱気になってしまっていた時期、偶然、デイズジャパン社の近くのカフェで広河氏と顔を合わせてしまう機会があった」(95頁15行目)
「動揺したこともあり、挨拶した上で、『福島でのことは別に、今後も仕事ではよろしくお願いします。先日は感情的になってしまいました』という趣旨のことを述べた」(95頁16行目)
「原発近くに連れていかれたこと自体の抗議を撤回する趣旨では全くなかった」(95頁18行目)

ここからわかることは、(1)福島には行った(2)しかし、放射線量が高い原発近くに行くという「事前の約束はなかった」(3)ヌード撮影は事前に了承していたことではなかった(4)広河氏に謝罪したのは動揺したためだった ── です。

では、次に、広河氏、役員の守屋氏と川島氏の証言をみていきます。

広河氏「私は謝罪と受け取った」

まず、広河氏の言い分です。

検証委員会は、女性から上記の「原発近くに連れていかれたこと自体の抗議を撤回する趣旨では全くなかった」といった内容を確認した後、広河氏に、「女性は、あなたに抗議したことを勘違いだったと撤回したわけではないと言っているが」と伝えたとあります(95頁20行目)。

これに対し、広河氏は、「『私は謝罪と受け取った』と反論」したと書き、“反論”という言葉を使っています。

ここでも「思われる」という言葉を使用

次の「役員らの対応」(95頁24行目~29行目)の項目に、先ほどの関係者5人のうち、2人が役員の川島氏と守屋氏だということが書かれています。二人は、広河氏のハラスメントについて、「ひとつだけ聞いたことがある」と述べています。

両人の直接の証言は後で出てきますが、なぜかここで、「聞いたことがある」のは、「この女性がデイズジャパン社編集部を直接訪問して広河氏に抗議したため、他の社員の目にも触れたためだと思われる」とまたしても、検証委員会の“思われる”が挿入されています。

そして、「川島氏も守屋氏も、これについての広河氏の説明を鵜呑みにしたのみで、当事者への調査をすることなどは一切なかった」と結論づけています。

川島氏の証言をみてみましょう。

アシスタント女性が「福島第一原発の近くに連れていかれ、事後に抗議した」ことを「耳にし」(96頁22行目)、「広河氏に『どういうことなのか』と問うた」(96頁23行目)ところ、「広河氏から『この女性は、あとで、抗議したことについては勘違いだったと謝られた』と聞き、『そうだったのか』とそのまま納得してしまった。」

川島氏の言い分からは、セクハラがあったのか、なかったのか、判断のしようがありません。しかし、検証委員会はセクハラがあったとしています。

理由はこうです。

まず、「この抗識をした女性に直接事情を確認し」なかった、「広河氏の説明を聞いて鵜呑みにした」「『万ーにもハラスメントがあってはならないから念のため調べよう』という意識は全くなかった」と川島氏の対応の問題点を挙げ、「鵜呑みにした」「全く(なかった)」との評価を加えています。そして、「具体的な抗議があった以上、会社としてはその女性からも話を聞くという調査をすべきだった」(96頁21行目~29行目)と主張しています。

この記述からわかることは、川島氏が役員として十分な対応をしなかったということです。そこはわかります。もしそうなら、会社組織として社員らのハラスメントを解決する組織的体制に不備があったということでしょう。しかしながら、そのことが、どうして広河氏からのセクハラがあったという事実の認定に導かれるのでしょうか。

役員は「もともと原発に行く予定だった」と証言

守屋氏の言い分は、「『知っている』と述べるが」、「広河さんから『その人からは、後で会ったときに、あの時の抗議は勘違いしていた、すみませんでした、と謝られた』と聞き、そうだったのかと思」い、「抗議者に直接事実確認をするなどしないまま広河氏の言い分を信じた」(100頁25行目~34行目)というものです。

ここで注目したいのは、検証委員会の「その女性は意に反して福島第一原発近くに連れていかれたそうだが」との質問に対し、守屋氏が、「そうではありません、もともとそういう予定だったはずです」と述べている点です。

こうした発言があれば、検証委員会は当然他の関係者の証言を検証すべきです。ところが、それをした形跡はありません。

そして、守屋氏を「抗議者の言葉より広河氏の弁明を信じる態度が明白」とみなし、それどころか、守屋氏に対し、「広河氏に対する敬意や信頼によって、監査役としての取締役への監視義務の放棄といえる状況があったことがうかがえる」と結論づけています。

ここも、“うかがえる”と検証委員会の主観的な感想で述べられています。

すなわち、当事者への調査をしなかったという監査役としての取締役への監視義務を怠ったことから、川島氏と守谷氏の証言についての裏とりを止めています。

徹底調査の痕跡なし

サバイバーの「事前に約束もなかったのに放射線量が高い原発近くに連れていかれた」という証言と、守屋氏の「もともとそういう予定だったはずです」という言葉が食い違うのであれば、どちらが事実か、裏を取って徹底的に調べるべきです。

それをせずにセクハラを認定するのは、検証委員会の役割を逸脱した行為だといえます。

次回は、別のセクハラ証言の事実認定については検証します。



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