ニューヨーク・タイムズのセクハラ調査報道 1/3 日本では注目されなかった優れた調査報道

海外の報道

#MeTooの発端がハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの性的暴行だったことは、日本でも知られています。しかし、この悪行を暴いた2017年10月の「ニューヨーク・タイムズ」(以下、「タイムズ」)の記事そのものについては、ほとんど話題になりませんでした。

「タイムズ」のワインスタインの記事は、優れた調査報道と高く評価され、この記事を書いた「タイムズ」の二人の記者、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーは、2018年に米国で新聞報道や文学音楽などに与えられる最も権威ある賞、ピューリッツァー賞の公益部門を受賞しています。

日本の新聞で最初に報じられたワインスタインの記事は、検索可能な電子版を調べたところ、「朝日新聞」(以下、「朝日」)は2017年10月10日付「女優M・ストリープら、大物プロデューサーのセクハラ行為を批判」(ロイター芸能ニュース)、「毎日新聞」(以下、「毎日」)は2017年10月12日付「セクハラ激震 大物プロデューサー20年以上」でした。

「毎日」は2018年4月17日付の記事で、「タイムズ」の報道がピューリッツァー賞を受賞し、「衝撃的で影響の強いジャーナリズム」が受賞理由と書いていますが、「タイムズ」の記事の内容には深く触れていません。

ワインスタインのセクハラを暴いた女性記者をいち早く取り上げたのは、女性ファッション誌「ELLE」で、2018年4月26日付電子版は報道の舞台裏の映画化を伝えています。「朝日」が映画紹介を載せたのは2020年2月21日で、記者のインタビューが出たのは、女性記者の著書の日本語版『その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』(ジョディ・カンター/ミーガン・トゥーイー著 、古屋美登里訳、新潮社)が発行(2020年7月)された後の2020年9月6日です。「毎日」は2020年8月4日に書評を載せています。

「タイムズ」のセクハラ調査報道は、各国のジャーナリズム界を覚醒させたともいえるのですが、日本の報道機関の関心は低いことがわかります。そもそも調査報道が減少の一途をたどっている日本で、セクハラの調査報道に目が向かないのはやむを得ないのかもしれません。

現在は文春砲のひとり勝ちで、政治・経済において権力者の隠蔽を明るみするスクープを連発しています。一方、新聞の調査報道は力を失い、「朝日」も2021年春に、調査報道をになう特別報道部を廃止したそうです。

いまにはじまったことではありませんが、性的暴行やセクハラといった事件の多くは週刊誌で報道されますが、たとえば、文春砲の性暴力スキャンダルは、政治や経済などのそれと同等の高いレベルなのでしょうか。

週刊誌で報道された性暴力事件について、新聞が追い取材をすることはめったにありません。2021年2月に週刊誌で報じられた、総務省官僚の接待問題は、その直後から、新聞やテレビが追い取材を繰り広げました。ところが、週刊誌で報じられた性暴力についてはそのまま事実とするのがいまのところ通例です。

伊藤詩織さんのケースも、真実を追求することなく、訴訟の経緯や結果を報じるにとどまっています。性暴力やセクハラはれっきとした犯罪ですが、報道機関はそうした認識に欠けているといえます。

さらに奇妙なのは、「裏付け取材の必要性」や「誇張表現を慎む」といった報道倫理に精通している記者でさえ、確固とした裏付けがなく、センセーショナルな言葉で書かれた週刊誌の性暴力やセクハラ報道を是認する点です。報道機関の記者であれば、調査報道の定義や取材の進め方、報道の仕方は心得ているはずですが、なぜか性暴力やセクハラに関しては、ジャーナリズム精神を放棄することも厭わないようです。

「タイムズ」の取材チームが、ワインスタインの性犯罪を調査して発表していく過程は、二人の記者が書いた『その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』(以下、『その名を暴け』)に詳しく書かれています。

日本での性虐待やセクハラの調査報道の事例がないため、「タイムズ」の取材チームがどのように記事発表まで展開していったのか、みていきたいと思います。

性暴力やセクハラであっても、その基本姿勢と調査・取材方法は、調査報道のそれとまったく同じです。「タイムズ」の取材チームは、他の調査報道と同様、犯罪を「正しく暴く」というジャーナリズムの基本姿勢を堅持し、ほぼ無の状況から取材をはじめ、疑問の余地のないくらい確固とした証拠を固め、性犯罪を実証していきました。

「タイムズ」の性的いやがらせ調査報道は、次のような手順を踏みます。

・サバイバー(被害者)との接触
・物的証拠の入手
・その情報の裏付け
・的確な表現での原稿作り
・調査対象への記事開示

ワインスタインの調査は、「タイムズ」が2017年4月、FOXニュース・ネットワークと司会者ビル・オライリーが性的嫌がらせで繰り返し訴えられていると報じた記事がきっかけとなり、はじまりました。

オライリーの記事を担当した二人の記者は、調査に8か月を費やし、彼が少なくとも5人の女性に示談金を払っていたことを明らかにしました。この記事で「タイムズ」は、性犯罪というデリケートな問題もみごとに報道できることを証明します(『その名を暴け』、60ページ)。

オライリーが解雇された4月19日ごろ、「タイムズ」の編集者たちは記者を集めて、性的いやがらせ専門の大掛かりな取材チームを作り、シリコンバレーやIT産業、学術の世界、低賃金労働者たちなど、さまざまな業界の調査を開始します(59~60ページ、以下すべて前掲書)。

この取材チームを作ったのは、FOXニュースのオライリー事件を追いかけた有名編集者マット・バーディです(87ページ)。

バーディは、ワインスタインの取材にかかわった中心スタッフ4人のひとりで、夥しい数の記事に目を配らせながらも、ワインスタインの報道には特に注視しました。

最初からこの記事を指揮した編集者のコルベットは、「男性中心の編集局で鍛えられ」(91ページ)てきた、60歳を過ぎたベテラン女性ジャーナリストです。彼女は、「調査を先に進ませることに強い関心を抱き、記者たちを支えながらも、厳しい眼で取材の進捗を検分し」(90~91ページ)ていきました。

署名記事を書いたのは、ジョディとミーガンの二人の記者です。ジョディは、この事件を担当する4年ほど前から、職場での性差別の実態や女性が被った出来事に関する調査をはじめています(37ページ)。ミーガンは、10年以上、性的違法行為を暴く記事を書いてきた記者で、ドナルド・トランプ大統領候補(当時)の女性蔑視問題の調査報道にもかかわりました(44ページ)。

取材チームのメンバーではありませんが、「タイムズ」初の黒人編集長ディーン・バケットもワインスタインの報道に深くかかわります。最終的な決断を下す立場にあるバケット編集長は、「ワインスタインの犯罪を暴きたいが、正しく暴かなければならない」(242ページ)という姿勢を貫き、記者たちを見守りました。その理由は、バケットが新聞記者として初めて取材したジェラルド・ハッチャーという三流俳優による10代の女優の卵たちのレイプ事件で、その記事の書き方に「あれは被害女性たちに対しても失礼なことだったかもしれない」との悔いを残していたからでもあります(240~241ページ)。

このように、ワインスタインの報道にかかわった編集者と記者は、女性差別や性的暴行などの取材経験者でした。

ちなみに、性的嫌がらせ問題に取り組む「タイムズ」の取材チームは、ジョディとミーガンが進めるワインスタインの調査以外にも、他の女性記者が、レストラン、商店、ホテル、建築現場で働く人々や、造船所や炭鉱といったかつては男性肉体労働者の職場を調査していました(101ページ)。

 

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